原作でのカジモドの命名とフロローの幼少期 | 『ノートルダムの鐘』

原作でのカジモドの名前の由来

ユゴーが書いた原作「Notre-Dame de Paris」(ノートルダム・ド・パリ)では、クロード・フロロ(フロロー)がカジモドを拾った日のことが描写されています。
それは作中の舞台となっている1482年のさらに16年ほど前のことで、『よく晴れた白衣の主日(カジモド)の朝のことだったが』と記述されています。
「白衣の主日」は復活祭の翌週の主日(日曜日)のことで、2000年の決定により現在は「Divine Mercy Sunday(神のいつくしみの主日)」と呼ばれているようですが、それ以前は「Quasimodo Sunday」と呼ばれることもあったようです。「Quasimodo Sunday」と呼ばれるようになった理由は、その日のミサで使用される曲の冒頭が「Quasi modo gé niti infántes…」と始まるためです。ラテン語である「quasi modo」は直訳では「あたかもそのような」という意味になります。また、フランス語で「quasi」は「ほぼ」や「おおよそ」「かろうじて」という意味です。

また、同じ章には以下の記述もあります。

クロードは拾ってきた子どもに洗礼をほどこして、《カジモド》という名をつけた。拾いあげた日にちなんだものだったが、また、この名が可哀そうな赤ん坊の不完全でほとんど人間の形をなしていない姿をよく表しているとも思ったからだ。事実、片目で、背中は丸く曲がり、X脚のカジモドは「ほぼ(カジモド)」人間の形をした生き物であるとしか言いようのない子どもだった。

───”ノートルダム・ド・パリ(上)”

つまり、フロロがカジモドと名付けたのは、彼を拾ったのが「白衣の主日(カジモド)」であったことと、彼が「ほぼ」人間であると言える点からだとされています。

フロロがカジモドを拾った理由

原作の内容では、フロロがカジモドを養ったのは弟のジャン(ジェアン)のためとされています。また、その理由と共にフロロの幼少期について記述があります。
まとめると、以下の通りです。

フロロは中流の家庭の生まれで、小さい頃から聖職につくように両親に育てられ、ラテン語を読むことを教えられ、目を伏せて小声で話すようにしつけられました。また、子どもの頃から施設に閉じ込められ、ミサの本とギリシャ語の辞書を糧にして育ちました。
学生の頃は様々な分野の学問に打ち込み、18歳の頃には神学、法学、医学、芸術の分野の知識を網羅しており、学問こそがただ一つの人生の目的と考えるようになります。
その頃ペストの大流行があり、フロロが実家にかけるけると両親は前夜に亡くなっており、まだ産着を着ているほど小さな弟だけが泣いていました。
両親の顔も覚えていないような小さな頃から親元を離れて学問にのみ生きてきたフロロは、不幸にもそれまで人間に対する愛情や愛着を感じることがありませんでした。
そんな彼の人生で初めて激しい愛情が芽生えたのが小さな弟に対してです。フロロは身を粉にしても弟を育てることを誓い、弟の将来のためには自分の身を犠牲にしようと決心し、必ず弟を幸せにすると神に誓います。フロロはジャンのためならば結婚もせず、子どもも持たない覚悟でした。その後フロロは聖職者として出世し、司祭となり同僚の聖職者たちからも尊敬と称賛の的となります。
そしてある年の白衣の主日(カジモド)の朝、大聖堂の捨て子用のベッドにカジモドが捨てられます。
フロロは打ち棄てられたその子を見て、自らが小さなジャンを育てると決意した頃を思い出します。可愛い弟のジャンも自分が面倒を見ていなければ同じように捨て子となっていたかもしれないと思うとその捨て子が不憫でたまらなくなり、その子を抱き上げて連れ帰ります。
そしてフロロは弟のためにその子を育てようと決意します。それは、大切な弟のジャンがこの先の人生でどのような過ちを犯そうとも、ジャンのために行われた善行によって償いがされるように、と望んだためでした。