原作:ヴィクトル・ユゴー作『Notre-Dame de Paris』について | 『ノートルダムの鐘』

原作の概要

アニメーション映画およびミュージカルの基となった小説『Notre-Dame de Paris』(『ノートルダム・ド・パリ』)は1831年に出版されたフランスの詩人、小説家ヴィクトル・ユゴーの作品です。フランス語から翻訳された際に英語では『The Hunchback of Notre-Dame』というタイトルになりました。
1482年のパリを舞台にカジモドやクロード・フロロー、エスメラルダを通して人間性やその二面性などが描かれています。

フランス語初版では3つの章が収められておらず、1832年の決定版にて全ての章が含まれる形で出版されました。ユゴーによれば、この3章は決定版に向けて新たに追加されたものではなく、初版印刷時にはその3章の原稿が紛失していたそうです。

日本語に翻訳されたものは1950年に初めて出版され、その後出版社を変えて複数回の改訂を経ています。翻訳は辻昶(第1編から第6編まで)および松下和則(第7編以後)によります。2016年出版の岩波文庫の場合で、上巻480ページ、下巻576ページです。2016年版よりも古いですが、2008年に出版された電子書籍版もあります。
全ての部分を比べたわけではないですが、2016年版は2008年の電子書籍版よりも建物や地名などに関する注釈が増えているようです。

原作執筆のきっかけと目的

ユゴーは小説の序文でノートルダム大聖堂を訪れた際のことを書いており、その中に以下の記述があります。

 5,6年前のことだが、この物語の作者がノートルダム大聖堂を訪れたとき……いや、さぐりまわったときと言ったほうがいいかもしれないが……、作者は塔の暗い片隅の壁に、つぎのようなことばが刻みつけられているのを見つけたのである。
ΑΝΑΓΚΗ (宿命)
年を経て黒くなり、壁石にかなり深く彫りこまれたこのギリシア文字の大文字、中世の人間が書いたことを示しているかのような、文字の形やたたずまいにみられるゴチックの筆法に特有ななんともいえぬ風格、ことにその文字が表している悲痛で不吉な意味、こうしたものに作者は激しく胸を打たれたのである。
私はいぶかった、解き当ててみようとつとめた、この古い聖堂のひたいに、罪悪か不幸かを表すこのような烙印を残さずにはこの世を去っていけなかったほどの苦しみを味わったのは、いったいどんな人間だったのだろうか、と。

───ノートルダム・ド・パリ(上)

引用の中でも記述されているように、ユゴーはこの『ΑΝΑΓΚΗ』という言葉にインスピレーションを受け、『Notre-Dame de Paris』を書き始めました。『ΑΝΑΓΚΗ』(Ἀνάγκη:アナンケー)とは古代ギリシア語で、「運命」や「不変の必然性」、「宿命」が擬人化された女神を指します。
その言葉が単なる落書きであったにしても、ユゴーはその「宿命」という言葉について考え、探り、物語を紡ぎました。また、ユゴーは小説の中で『ΑΝΑΓΚΗ』という言葉がある登場人物によって書かれる経緯を描いています。

また、1832年刊行の決定版に付けられた覚書の中ではこの本を書いた目的について以下のように述べている部分があります。

とにかく、これから作られる新しい記念建造物を待ちうける一方、昔からある記念建造物をもまた大切に保存してゆこうではないか。できれば、民族生粋の建築を愛する精神を、フランス国民の胸に吹きこもうではないか。はっきり申し上げるが、これこそ、この本を書いた主な目的のひとつであり、私の一生の主な目的のひとつでもあるのだ。

───ノートルダム・ド・パリ(下)

小説『Notre-Dame de Paris』の成功によりユゴーが人々に伝えたかった建築物に関する想いも評価されることとなり、当時は荒廃していたノートルダム大聖堂を始めとする建築物に対する復興運動の機運が高まりました。その結果、ノートルダム大聖堂については1843年に政府が全体的補修を決定しました。

主な登場人物

エスメラルダ
ジプシーの美しい少女。クロード・フロロが恋心を抱き、カジモドに誘拐させようとしたが、本人はただひたすらにフェビュスのことを想っている。
クロード・フロロー
ジョザの司教補佐(司祭)。エスメラルダに魅せられ、女性への愛情、情欲と聖職者の責務との間で苦しむ。フェビュスを刺しエスメラルダに無実の罪を着せる。
フェビュス・ド・シャトーペール
王室射手隊長。かなりの美男。婚約者がいるにも関わらずエスメラルダにも手を出そうとする。
カジモド
クロード・フロロに拾われ育てられたノートルダム大聖堂の鐘番。大聖堂から一歩も外に出ずに育てられた。生まれつき背が曲がっており、顔は片目に見えるほど歪んでいる。鐘番の仕事により耳が聞こえなくなっている。エスメラルダをさらおうとしたが失敗、その罪で鞭打ちの刑となったときにエスメラルダに優しくされたことから、彼女に対して強い感謝と清らかな愛情を抱く。
クロパン・トルイユフー
悪党やジプシーの集まる場所、「奇跡御殿」の王。
ピエール・グランゴワール
詩人、哲学者。「奇跡御殿」でクロパンによって処刑されるところを仮の夫婦となることによってエスメラルダに助けられた。
フルール=ド=リ
フェビュスの婚約者。嫉妬深い。
ジャン・フロロ・モランディノ
クロード・フロロの弟で、かなり甘やかされて育った。遊びが大好きで、度々フロロに金の無心をする。
ギュデュール
ジプシーを毛嫌いしている女性。昔ジプシーに自身の赤ちゃんを連れ去られたと主張している。ジプシーの中でもエスメラルダに対しては特に厳しく、見かけるごとに罵声を浴びせている。

原作の描写について

ざっくりと言うと、一部描写がそこそこ重いです。
そう長くはありませんが、拷問の描写や人の死に関するやや具体的な描写もあります。
フロロがエスメラルダへの気持ちを語る部分は恋心も確かにあるものの、情欲でもあることが明確です。エスメラルダに心を奪われその想いを吐露する場面やその行動自体は結構狂人じみています。
あと、エスメラルダが一途に想う相手であるフェビュスがかなりのクズです。
また、アニメーション映画版やミュージカル版でも共通ですが、街の人々ですら現代では当たり前の権利が認知されていないため酷い行為を平気でしたり、文化的に発展しきっていないことから迷信的であったり排他的であったりします。
読む中で救われて欲しいと思えるような人物は大体救われませんし、そうでもない人物もほとんど救われません。
ただ、カジモドの人物像は詳しく描かれていますし、その想いと行動はとても純粋であるのがよくわかります。また、フロロがどういう環境で育ったのかやエスメラルダの母親の正体なども出てきます。アニメーション映画やミュージカルだけではわからないことや時代背景、建築物や街に関する描写も多くあります。
アニメーション映画版やミュージカル版で主役となっているカジモドですが、原作ではさほどストーリーの中心という印象はなく、フロロやエスメラルダの行動や想いを中心としてそこにカジモドが大きく影響し、さらにその他の人物も影響を与えていく、という印象です。

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