ノートルダム大聖堂とは | 『ノートルダムの鐘』

概要

ノートルダム大聖堂 (Notre Dame de Paris)
ノートルダム大聖堂 (Notre Dame de Paris)

ノートルダム大聖堂はローマ・カトリック教会の大聖堂のひとつです。ノートルダム(Notre Dame)とはフランス語で「我らが貴婦人」(英語:Our Lady)の意味で、聖堂が「聖母マリア」をに捧げられたものであることを示しています。また、カトリック教会で言う「大聖堂」とは、大きな聖堂のことではなく、聖堂のうち「司教が座る椅子(ラテン語:cathedra)」がある聖堂、つまり「司教座聖堂(カテドラル)」を指します。

聖母マリアに捧げられた大聖堂は他にもあり、そのほとんどが「ノートルダム寺院」や「ノートルダム聖堂(もしくは大聖堂)」と呼ばれるものですが、中でもフランス、パリのシテ島にある「ノートルダム大聖堂(La cathédrale Notre-Dame de Paris)」が有名で、「パリのセーヌ河岸」という名称で登録されている世界遺産の一部でもあります。
また、聖堂の西の石畳には「ゼロ・ポイント」を示すプレートがあり、このプレートによって「ノートルダム大聖堂」はパリから各地への距離を表す際の0km地点(起点)となっています。

以下、特に注記がない場合、「ノートルダム大聖堂」はパリのノートルダム大聖堂を指します。

ノートルダム大聖堂 (Notre Dame de Paris)
ノートルダム大聖堂 (Notre Dame de Paris)

「ノートルダム大聖堂」の工事は1163年に着工され、約200年後の1345年に完成に至りました。

完成から650年以上が経つ現在までに、ジャンヌ・ダルクの復権裁判(1455~56年)やナポレオン・ボナパルトの戴冠式(1804年)、パリ同時多発テロの追悼ミサ(2015年)など様々な出来事があり、19世紀半ばにはヴィクトル・ユゴーの小説がきっかけとなり、大修復が行われました。

その建物内部は中世ヨーロッパの森をイメージしていると言われています。
また、大聖堂では現在もミサなど様々な行事が行われています。

現地時間で2019年4月15日の夜、「ノートルダム大聖堂」で大規模な火災があり、日本でもニュースとして大きく報道されました。
炎に包まれた尖塔が崩れ落ちる様子は映像で見るだけでもショッキングでした。

火災の詳細やその後などはWikipediaでもまとめられています。
ノートルダム大聖堂の火災(Wikipedia 日本語版)
Incendie de Notre-Dame de Paris(Wikipedia フランス語版)
Notre-Dame de Paris fire(Wikipedia 英語版)

ヴィクトル・ユゴーの作品の影響

ノートルダム大聖堂 (Notre Dame de Paris)
ノートルダム大聖堂 (Notre Dame de Paris)

フランスの小説家、詩人であるヴィクトル・ユゴーは1831年に小説『Notre-Dame de Paris』を発表しました。

その序文でユゴーは「ノートルダム大聖堂」を始めとする教会などの建物の荒廃について触れており、「聖堂そのものも、そのうちには、おそらくこの地上から消え去ることであろう。」(訳:辻昶・松下和則)とまで述べました。
しかし、このユゴーの作品が大きな成功を収めたことで、フランス国民全体に大聖堂復興運動の機運が高まり、1843年、政府は「ノートルダム大聖堂」の全体的補修を決定し、二人の建築家(ラシュスとヴィオレ・ル・デュック)にその役割が与えられました。

建築

ノートルダム大聖堂 西側正面 (The western facade)
ノートルダム大聖堂 西側正面
(The western facade)

西側の正面である「西ファサード」(ファサード:建物の正面部分で設計上も重要視される部分。)の印象的なふたつの塔は高さ69m、その奥に高くそびえたつ尖塔は高さ90mです。

通常、ゴシック様式の大聖堂は西ファサードに3つの扉口をもっており(ブールジュの「サン=テチエンヌ大聖堂」は5つ)、いずれの大聖堂も中央扉口の彫刻は例外なく『最後の審判』が主題になっています。「ノートルダム大聖堂」の場合、3つの扉口は向かって右側が『聖アンナ』(サンタンヌ、聖マリアの母)、中央が『最後の審判』、左側が『聖母戴冠』(聖母マリアが死後にキリストによって戴冠されたとされる伝承、カトリックでは教義の一部。)の扉口となっています。

1789年にフランス革命が勃発し、1793年の革命政権下、大聖堂の扉口や「王のギャラリー」(扉口とバラ窓の間にある彫刻群)にある王冠をかぶった人物は全てフランスの歴代の王たちとみなされたため、革命政権の指示によりそれら全ての王冠(頭の部分全て)が排除されることになり、西ファサードの3つの扉口の側壁を飾っていた大彫刻や「王のギャラリー」の28体の大彫刻が取り除かれました。

1977年、パリ市内の銀行の工事中に石棺の中に入った彫刻の断片364個が発掘され、その中には彫刻の頭部が21個含まれていました。それらが「ノートルダム大聖堂」にかつてあった彫刻であるとわかり、それこそがその時まで本来の姿を知られることがなかった「王のギャラリー」の王たちでした。これは当時では最も重要とされる中世考古学上の発見となりました。

西ファサード 左扉口 左彫刻
西ファサード 左扉口 左彫刻

西ファサードにある3つの扉口のうち、聖母マリアの戴冠が主題になっている左の扉口の左側の彫刻の右から2番目の人物は手に自分の首を持っています。これはキリスト教の殉教者であり3世紀頃にパリの最初の司教だったサン・ドニ(現在の大聖堂の鐘の名前にもなっています)で、「パリのディオニュシウス」とも呼ばれています。

ミュージカル版に登場する「聖アフロディジアス」と同じく、斬首された後に自分の首を持って歩いたと伝えられていますが、彼の場合はモンマルトルで斬首され、自分の首を持ってパリ郊外まで説教をしながら数キロメートル(直線距離で5kmくらい)を歩いたとされています。
その絶命した場所がサン・ドニと呼ばれるようになり、小さな礼拝所が建てられました。その礼拝所が現在のサン=ドニ大聖堂で、ほとんどの歴代フランス国王が埋葬されています。

ノートルダム大聖堂 北のバラ窓 (The northern rose window)
ノートルダム大聖堂 北のバラ窓
(The northern rose window)

『ノートルダムの鐘』のアニメーション映画で”色彩豊か” “驚くほど精細”と評価された場面、そしてミュージカルのセットでも模されているステンドグラスで作られた大きな円形の窓は「バラ窓」と呼ばれます。
ゴシック様式の聖堂は尖頭アーチ、肋骨穹窿(リブ・ヴォールト)、飛梁(フライング・バットレス)により、高さを求めつつその壁面を骨組構造に変え、窓のために大きく解放していきました。

ノートルダム大聖堂のバラ窓は北、南、西の3ヶ所にありますが、制作当時のものが保存されているのは北側だけで他のバラ窓は19世紀の修復で直されたものです。南と北のバラ窓は直径約13m、西のバラ窓は9.6mです。

北側のバラ窓は中心部に聖母マリアが幼いキリストを抱いて座っている様子、その外側には『旧約聖書』の預言者たち、その外側に『旧約聖書』に出てくる王たちと審判官。さらに外側にはユダヤ教の大司祭が表現されています。これは、キリスト出現までのユダヤ民族の歴史、すなわち『旧約聖書』に捧げられていると考えられます。

ノートルダム大聖堂 南のバラ窓 (The southern rose window)
ノートルダム大聖堂 南のバラ窓
(The southern rose window)

次に、南側のバラ窓は四福音書の書記者を象徴した動物に囲まれキリストが中央に座っています。その外側には十二使徒たち、さらに外側には殉教者と証聖者たち、さらに次の外側も殉教者(女性)たちが描かれていると推測されており、一番外側の24個には天使たちが描かれています。

これは、キリスト出現以降の『新約聖書』の世界が表現されているとされます。

ノートルダム大聖堂 西のバラ窓 (The western rose window)
ノートルダム大聖堂 西のバラ窓
(The western rose window)

西側のバラ窓はパイプオルガンで下半分が見えない状態ですが、中心が聖母子、その外側に12人の預言者たち、さらにその外側の下半分は十二星座、上半分は「十二の悪徳」、さらに一番外側の下半分は12ヶ月の仕事、上半分には槍と盾を持ち王冠をかぶった女性が描かれています。女性が持つ盾には動物が表現されており、これは西ファサード中央扉口の腰石部分にもある「十二の美徳」の表現です。

シャルトルにあるシャルトル大聖堂では3つのバラ窓の中心はキリストであり、北側には幼いキリスト、南側には復活者としてのキリスト、西側には審判者としてのキリストが表現されています。つまり、北側に『旧約聖書』、南側に『新約聖書』、西側に『最後の審判』が描かれています。これは「過去」、「現在」、「未来」が象徴されていると考えられますが、パリの「ノートルダム大聖堂」では西側のバラ窓が変則となっています。

バラ窓が初めて現れたのは1140年、サン=ドニ修道院(現在はサン=ドニ大聖堂)で、西ファサードの外側にある扉口とバラ窓の間の彫刻「王のギャラリー」は「ノートルダム大聖堂」で初めて現れました。

また、天井アーチからの横圧力を外部から支える「飛梁」(フライング・バットレス)が最初に現れたのもパリのノートルダム大聖堂です。(東側もしくは北側からの写真で飛梁の様子がよくわかります。)

ノートルダム大聖堂のシメール (Chimères)
ノートルダム大聖堂のシメール
(Chimères)

北側の入り口から展望台までは387段の階段があり、展望台からは南東に鐘楼を臨むことができます。
北の塔から階段を昇るとシメールのギャラリーが見られます。シメールは伝説の怪獣キマイラのことで、聖堂を守るように見下ろしています。

また、建物の外側の怪物にはシメール以外にガルグイユ(Gargouille)と呼ばれるものたちもいます。ガルグイユは英語ではGargoyle(日本語:ガーゴイル)と呼ばれます。
このガルグイユは雨樋(あまどい)の役割をしており、雨が降るとガルグイユの口から水が流れ落ちて建物の壁が雨によって傷んでしまうことを防いでいます。

ノートルダム大聖堂について調べるなら

より詳しい情報は以下のサイトが参考になります。

特にノートルダム大聖堂の公式サイト(Accueil | Notre Dame de Paris)は朝・夕・夜の西ファサードの様子がトップページとなっている他、建物の他の部分や彫刻などが多く見られるのでおすすめです。
ただし、ページ内の言語選択で日本語にすると、わかるようなわからないような(どっちかというとわからない)日本語訳が表示されます…
フランス語版Wikipediaはさすが本場だけあって、(フランス語さえ読めれば)素晴らしい情報量を誇ります。ぐぬぬ…

Accueil | Notre Dame de Paris (ノートルダム大聖堂公式サイト)
パリのノートル・ダム大聖堂 | フランス観光 公式サイト
Cathédrale Notre-Dame de Paris — Wikipédia (フランス語版Wikipedia)
Notre-Dame de Paris – Wikipedia (英語版Wikipedia)
ノートルダム大聖堂 (パリ) – Wikipedia (日本語版Wikipedia)