悪い点は敢えて見落とし、良い点は無理矢理にでも見つける

自分のブログに何を書いても(法や公序良俗に反しない範囲、他に迷惑でない範囲であれば)自由、という前提は理解した上で。

確かに基本的に自由ではあるのですが、やっぱり嫌いな物事や人のことをひたすら悪し様に言う人は好きじゃありません。
ブログであれば、批評でも評論でも感想でもなく、悪口に成り果てているものを見ると、その対象が私の好き嫌いに関わらず読んでいて不愉快になります。
マイナスの想いというものはそういうものだと思います。
大体そういうものは読んでも何の参考にもできなかったりしますし、じっくり読むこともありませんが。
何事も冷静な評価はすべきだと思いますが、ただ自分が嫌いだから、気に入らないからという理由でダラダラと根拠のない罵倒を繰り返しているのを見ても時間の無駄です。

しかも、自分自身が後で読んでも、「あぁ、このときは最悪だった!」「あぁ、これはおもしろくなかった!」「やっぱりあいつは最低だ!」とマイナスな想いしか浮かびません。
その内容に同調する人はいるかもしれませんが、私個人としては、同じ共感を求めるならば自分の楽しい想いを書いたほうが、書いてる間の自分が幸せな分良いと思うのです。
マイナスな内容で同調されたとしても、結局マイナスの思考しか生んでいないという点で不毛なのではないかと。

誰にでも好き嫌いはありますし、冒頭に書いたように基本的には自由だと思います。
私も自由に書いています。
ただ、ブログに書いて公開する以上、短絡的な「悪口」をご披露するような馬鹿な真似はしないように気を付けようと最近特に思います。

そもそも、物事にある程度詳しくなると、良い点も悪い点もよく見え、理解できるようになります。
そのとき、悪い点を中心に見ると、良い点が見えなくなることが多いと思いませんか。
悪い点は、嫌でも目に入るものであり、良い点は意識しなければ気付かないことが多いと思います。
良い点が全くない場合がないとは言いませんが。
それでも、悪い点は敢えて見落とし、良い点は無理矢理にでも見つけるくらいのほうが人生の中では良いと思っています。
批評や評価が仕事である場合はそうはいかないと思いますが、それでも仕事だけして生きているわけではないだろうし。
人の悪い点ばかり探す人や、悪い点しか見ることができない人は、きっと人生で色々と損をしていると思います。それだけ「好きだ」と思える物事や人を失っているはずなので。

あと、人の意見に左右されやすい人はあまりそういうものを見ないほうが良いと考えます。
意識下にその悪口が残ってしまい、正しい評価や自分自身の感想が見えづらくなるのではないかと思うからです。
正しい評価をせよ、と言っているのではなくて、人の意見に左右されたことによって、自分が好きだと思えたはずの物事や人がそうでなくなる損失が残念だと思うからです。

決定的に自分と合わない物事や人はあるものだし、生理的に無理という場合もあると思います。
でも、嫌いなものよりも好きなものが多い人生のほうが楽しそうだと思いませんか。
自分の見方や考え方次第で、死ぬまでの間に見つけられる「好きだ」と思えるものが増えるならそのほうが良いと思いませんか。

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